いのち軸とエゴ軸と

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このあいだテレビで『初耳学』を観ていたら、泣いている赤ん坊に何の音を聞かせると泣き止むか?というのをやっていた。うぃ~うぃ~泣いているこどもにスマホで『ぶぉ~~ん、ぶぉ~~~ん』とエンジンをブリッピングしてふかしている音を聞かすと、5秒で泣き止んだ(笑)。なんでも、母親の胎内で聞いてた音と似ているんだそうです。

これは心理学的にみて、何か深い示唆が含まれているのではないか?今にして思うと、クルマにのめり込む人は、まわりに数限りなくいたが、母親との縁が薄い人が多かった気がする。母が気が強い、口うるさい、気位が高くよそよそしい。そういう人の息子はけっこうクルマやバイクにのめりこんでいた。また、そういう人は母性本能の引き出し方がうまく、『モテ方が少し、違うタイプの人』が多かった気がする。

男はこどものころでも、他人の母親をよく観察しているものです。美人だとかブスだとか、やさしいとか怖いとか(笑)。

クルマは上にバイクのように乗るわけにゆかない。ドアを開けて中に入るわけです。つまり『母親との対立が生じる以前に戻りたい』という秘められた願望がクルマには秘められている。さらに、それを『操縦する』わけですから、その意味するところはもっと深い。そこにクルマのエンジン音の話で、すべてがつながった(笑)。

自転車系の人は、クルマも嫌いではないが、本質的に違うタイプの人であると思う。だから、『自転車もやるけれど、、』というクルマ系、バイク系の人は、自転車に乗っていてそばにクルマやバイクがなくても、すぐにわかる。タイプが違うのです。

人より速くとか、オレのクルマはスゴイというのは『エゴ系』だと思う。消し難い『自分』がどこまででもつきまとう。『では、自転車のほうはどうなんだ?』と言われれば、レーサー系はクルマの人たちに似てエゴ系がいる。しかし、ツーリング系はそうではないタイプがいる。『自分が生きている感じを深く味わう』ということは、『頭で考えた自分でも、考えている自分でもない』。深い山の中で、人の声もせず、頭の中がフッと消えた時、自分がそこにいて、森や渓流の水音、鳥の声と一体になった、自己の存在が自然と融合するような不思議な感じの時がある。それは『エゴ軸』ではなく『いのち軸』でないと体感できない。

似たような、機械を持って乗る趣味なのに、ずいぶんクルマと自転車は違う。自転車は山を歩く人の趣味と似ている。また、エンジンが自分なので、体調がいやがうえにも意識される。流行っているから食べに行くとか、行列が出来るくらいだから食べに行くとか、美食を追いかけることもない。この身体が健康でうまく維持できれば満足。お茶に自然な味のお菓子があれば満足。

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不思議なもので、『エゴ』が消えて、自然と一体の感じになって、流れるように山を自転車で歩いていると、気配が消えるのか、鳥や動物をよくみかける。そういうときは、むこうもこっちも等しく1対1なのです。

それが感じられるというのは嬉しい。自然の中に入っても『自分の最高級のカメラで』『自分が写真を撮って』、『自分のブログに載せて』ではいのち軸にはならない。そういう具合だと、『珍味や名酒を追うように』、珍しい鳥や植物、絶景を追う。

自然と天地と1枚になると、自然が神秘に輝いて見えはじめます。

オオミズアオ

プロフィール

roughton

自然と調和して、自転車の上のEthicalな生活をして、健康長寿。

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